2016年5月 中締め

とても残念なことだが、ライブスチームの工作を中断しなければならなくなった。

理由は、多忙に加えて、家族に極めて厳しい病気が判明したためである。病気が判明したのは昨年12月だったが、残された時間を有効に活用するために準備をしなくてはいけなくなった。
私は事業主だが、家族経営で仕事を回していることもあり、家族=仕事のパートナーとなる。結果的に仕事にまで影響が及んでいる。

家族が病気だろうが仕事の量は毎年増えているので、これに対処しなくてはならない。加えて、病気療養のために両親と同居したりいろいろな生活環境を整える中、現在ガレージ兼工作室である場所をきちんとした会社事務所へ改築することにした。そして従業員を採用して体制の立て直しをはかる予定だ。

結局、手に入れたもののほとんど使うことがなかった工作室を手を離すことになってしまった。手を離れるといっても3畳分の「工作隅」はそのままである。だが、この3畳のスペースに工作中の機関車と材料・フライス盤・旋盤・ボール盤を置くことになるので、もはや身動きは取れない。当分、機関車と材料は別の場所へ移すことになる。

私は現在、本編のセントラル8620とろく工房インチコッペルを工作中であり、ほかにも材料集めと工作の一部が完了してる国鉄B20がある。また人から引き継いだ5インチC51もある。5インチコッペルはすでに実家へ移転済みである。B20はボイラーを入手しているので完成する確率はかなり高いが、正直手一杯である。

8620とろく工房コッペルは何とか完成したいと思っている。それ以外はちょっと難しいだろう。


このホームページは、連載第1回にあるとおり、「知識も経験もない若造がライブスチームにチャレンジするとどうなってしまうのか」を実況することを目的としている。中締めする以上、これまでの総括をしたいと思う。

まず、家族の病気という極めて個人的なことをホームページにさらす理由は「責任」である。

ありがたいことに「ライブスチームに挑戦」を読んで8620にチャレンジした人が何人もいる。またこの世界に足を踏み込んだ人もいる。動機づけとなった私には説明責任があると考えている。


最初に時系列からである。

ライブスチームと出会い、工作を始めたのは29歳だった。私は結婚直前で仕事を転職し、新しい生活が始まったばかりであった。29歳まで勤めた会社は転勤が激しく、また今風に言えば完全なブラック企業であった。

新しい会社は社員を尊重してくれる素晴らしい会社だったので、この会社に所属している間は極めて工作は順調だった。嫁はショービジネスに身をおいていたので家にいないことも多く工作時間はいくらでも取れた。事実、2005年まではかなり順調だった。

また工作だけではなく、人生設計で計画していた独立開業するための準備期間も兼ねていたので、私は2006年までの6年間で国家資格を5つ取得した。2004年、2005年は空き時間のほとんどを勉強に費やしたので工作の進捗は悪くなった。
2006年には自宅を建築し、あこがれの工作室を手に入れたが、同時に子供が生まれ、さらに2007年に独立開業したので、このころは毎日が地獄であった。ようやく仕事も子供も軌道に乗り始めた2009年には次男が生まれてまた3年間地獄を見た。

夫婦二人だけで子供と仕事を回すのはかなり厳しかった。工作などとてもできないし、睡眠時間の確保すら難しい状況だった。
下の子が3才で落ち着いたときに3.5インチのコッペルを手に入れた。子供と一緒に運転会に参加して遊びたいという気持ちも大きく、工作に再チャレンジするよい機会だったのはこの頃である。

しかし、2012年にふたたび問題が発生する。これは家族と関係なかったが、私の住んでいる静岡市に静態保存されていたD51146号機が解体されることが発表され、これを阻止すべくほぼ2年を費やすことになった。保存会が解散しているので新たに保存会を立ち上げ、整備を続けることに加え、行政の決断を覆すためには相当な政治力が必要になったのだ。引受先を探す必要もあり、資金も相当拠出しなければならかった。

2015年11月に真岡鉄道へ機関車の移転が完了し、いよいよというところで今度は家族の深刻な病気である。

今度ばかりは自分の努力ではどうすることもできない。そして中締めへ至ったのである。


私が感じたライブスチーム界の特徴
ライブスチーマーの特徴として仕事をリタイヤした人が多い。もう一つ、子供がいない人が多い。理由は私の時系列から推察できると思う。

私はこれまで複数の趣味を並行してきたが、ここ数年はプラモデルのチームを立ち上げたことでとても良い勉強をすることができた。プラモデルにはアーマーモデルもあればカーモデルもある。キャラクターモデルもあればジオラマもある。ジャンルも工作法も多様だが、さすがプラモデル王国日本と誇りに思えるところを多数発見できた。

まず、プラモデラーは相手の趣味を尊重する。そして作品の良いところだけを取り上げ称賛する。また「素晴らしい作品を作る人ほど謙虚」である。そして何より素晴らしい人間が多い。だから居心地がよい。居心地が良いから長く続けられる。しかも派閥がほとんどない。静岡ホビーショーに参加して日本全国からのモデラーと付き合い、私は確信した。鉄道模型の世界はこの世界とあきらかに違うと。

本来、鉄道模型も模型であるため、「トレインモデル」として仲間入りしてもおかしくないのである。しかし鉄道模型として独立した存在で君臨している。君臨しているといえば聞こえはよいが、仲間に入れてもらえないだけではないか。

なぜか。

鉄道模型界はまだ成熟していないのである。
ライブスチームは多くの人がN、HO、Oゲージからのステップアップ組である。これらのゲージは「自己完結型」であり、「自らの思いの強さ」が「派閥」を生み、できた派閥は争いを起こす。それが公の雑誌であったり、ネット上で誹謗中傷していたりする。これらの頂点がライブスチーム界である。もちろん全員がそうというわけではない。しかし明らかに割合はおおい。

ライブスチームは走行場所の確保・レール敷設が困難である。土地の提供、役務の提供があって成り立つ。出張運転ではそれらの主催や主催しているクラブチームに対する尊重が必要である。しかしその尊重がないことが多く、運転会やイベントは長続きしない。これは「自己完結型の趣味人」が初めて「調和」と向かい合う時である。相手への尊重がうまくできないのだろう。

この記事を読んでそれが仮にどこかで誹謗中傷されたとすれば結果的に私の感じた特徴が正しいことになる。(笑)人間は多種多様であり、それを尊重することができる人間こそが成熟しているのである。

結果、ライブスチームは成熟した趣味ではないという特徴がある。新しい世代が成熟した趣味に成長させることを期待している。


総括 知識も経験もない若造がライブスチームに挑戦した結果どうなったか。
私の経験で解答すれば、知識と経験を積むだけで精いっぱいで完成まで持ちこめなかったということになる。言い訳をさせていただけるのであれば、「セントラルの機関車でなければ余裕で完成できた」と言いたい。セントラルの機関車は販売台数に対して完成している割合は著しく低い。最初の選択を誤ったといえるだろう。

この機関車を完成させるには自作をするだけの工作機械とCADは必須である。私はそれを楽しんでいたが、結果的に知識と経験はついたが完成させるには至らなかった。

私はすでに若造ではない。機関車の完成をあきらめたわけではない。8620に残された工作は配管・飾り部品だけである。しかし私にはそれに費やす時間がない。

結果、知識と経験は得られたがライブスチームは完成できなった。


最後に・・・

「ライブスチームに挑戦」は、私が作り上げてきた機関車と同じように作品の一つです。たくさんの方から励ましのメールを頂き、それはどれも温かく、私の工作を支える根底にもなるものでした。何より嬉しかったことは、「ホームページをみて私も始めました」というメールを頂いたことが少数ではなかったということです。

HPは、これからライブスチームに取り組もうと考えている人に対して、極普通で何処にでもいるサラリーマンの私自身が、身を持って経験したことを随時公開し「誰でもできるのだ」という自信を与えたいと考えたことがきっかけでした。家が借家だ・・・、工作場所がない・・・、転勤がある・・・・etc.それでもやれるのだということが少しだけ証明できたのではないかと思います。

想像もしなかった家族の病気で工作・連載をやめなければならないことは残念ですが、今はこれまで16年にわたり自由にやれてきたことに感謝をしています。

長く愛読いただきありがとうございました (⋈◍>◡<◍)。✧♡