2009年10月 「6年ぶりの運転会」

今年は更新が全く出来ていない。はやく?も10月になったが、運転会に参加したので報告しようと思う。

白馬レイアウトのすばらしさは噂に聞いていたが、9月の仕事の状況に余裕があったため、10月の上旬なら参加できるかもしれないと考えてエントリーをした。
結果、出発直前に仕事が舞い込み、かなり厳しい状況だったがなんとか運転会に参加することができた。

実は、出張運転は今回が始めてである。

走らせた機関車はこのホームページでおなじみのT−5である。2003年にボイラー修復のために分解し、そのままレンタルしていた機関車である。外観は復活時と大分かわってしまっているが、この機関車最大の特徴であるサイドタンクと運転台はそのままなので印象はそれほどかわらない。

まず水圧テストを行い、その後火入れ・昇圧して動作チェックをした。やはりドレンコックの作動不良があった。この不具合は私が運転していたころから抱えていた問題だった。上写真は昇圧して動輪を回しているところである。ドレンコックの修理はそれほど難しいことではないが、機関車をある程度高い位置まで持ち上げなければ作業しづらい。

結局、修理のみならず白馬へ行く準備もろくろくできないまま当日を迎えてしまった。運転台車は新製して臨む予定だったが、これも車輪を切削した段階で終わってしまい、知人にお借りして事なきを得た。

出張運転用の用具も適当に段ボール箱にいれて持ち込むしかなかった。帰りにビショビショになって最悪だったが!


6年の歳月は必要な持ち物の記憶が薄れており、装備にも忘れ物が多かった。
一番困ったのは帽子だった。頭からオイルミストを大量に被るので、これだけは忘れてはならない。幸い、運転会の記念品が帽子だったので本当に助かった。

火入れの手順は全く問題なく着火もすぐにできたが、いつまで待っても昇圧しない。
おかしい・・・・と各部をチェックすると、加減弁が全開になっていた。これでは昇圧するはずがない。ま、どこかの機関車のように水を入れ忘れるようなことはなかったが!!


ライブを運転するときには白系の服は着るべきではないのですが・・・忘れていました。

白馬のレイアウトは私が最も理想とするレイアウトに近かった。起伏があり林を縫うようにして敷設された軌道は完璧である。
運転は全く問題なくできた。まず一周してからいきなり客扱いをしたが問題なく体と機関車は動いてくれた。
ホームページでは運転レポートをほとんどしていないので工作ばかりやっているように感じられるかもしれないが、2000年〜2003年はほぼ毎週、平日も含めて運転をしてきたので体が覚えている。

ドレンコックの問題もあるが、相変らずオイルミストがひどい。一周走るとめがねがオイルで真っ白になり視界が効かなくなる。オイルポンプが更新されていたので、梃子比に問題があることが判明した。ガラス製のめがねを持参していたので役に立った。
とにかく、ライブは運転すると問題点が明らかになる。極わずかだがバルブタイミングも問題を抱えている。それでも運客もこなして楽しい運転会となった。

残念ながら二日間の日程の一日目だけの参加だったため、夕方には片付けて帰路につかなくてはならなかった。

旧知の懐かしい人にも多く会うことができた。6年という月日は加齢だけではなく、私の考え方まで大きく変貌させていた。

以前は早く自作機関車を完成させ、できるだけ沢山の運転会に参加したいと考えていたが、子供が生まれて自分の時間が制限されるようになるとそのようなことはどうでも良くなった。

「せめて一年に一回ぐらい、怪我や事故なく、子供たちと天気の良い日に運転してみたいなぁ・・・」

これが今私がライブに望むことである。


さて、運転会というものは情報を掴むという点でも魅力的である。

工作が進まないのは問題点が解消されないという理由もあった。ホームページではまだ紹介していないが、小物を中心に工作は続いている。タービン発電機、梯子等である。

セントラル鉄道8620を完璧に組み立てようと考えると、台枠の更新は避けて通れない。
しかし、4mm厚の磨き鋼材は私の近所では入手できない。黒皮鉄板で作ることは可能だが、板厚が微妙に異なるのでこれまで組んできた数多くの部品に追加加工・再製作をしなくてはならなくなる。

既存の台枠を使うのがとりあえず一番早いが、それには超えなければならない課題があるのだ。

これらについてはとても貴重な先輩の意見を伺うことができた。これらは今後の工作記を通じて紹介しようと思う。